朝鮮通信使絵馬
李氏朝鮮から江戸時代の日本に派遣された朝鮮通信使(第七回通信使)が淀川遡行する様子を描いた絵馬で、全国的にも大変珍しい歴史的な文化財である。
絵馬は縦98センチ、横189センチの木製で、三隻ずつ並んだ御座船が上下二段に描かれており、上段の三隻には、通信使であることを示す形名(けいめい)旗や、船内の朝鮮髙官の官服、屋根に立つ随員の朝鮮帽が、赤や紫の色彩で鮮やかに描かれている。
奉納期は「乙亥元禄八年九月吉日」(1695)。奉納者は「喜志桜井村」(現富田林市桜井町)「平蔵」「忠兵衛」「市蔵」「弥太郎」など十一名の名前が書かれている。
なみだれの梅 石碑
稲荷社の西、神体山を約三十メートル登ると「なみだれの梅」の碑がある。一世紀後半、左衛門尉の命で都へ出ていた神官・青谷正祐は都の女性に慕われるがそれを知った彼は職を辞して神社に戻る。彼を想い都から下って来た彼女は、日毎夜毎、彼を想い社の傍に立ち尽くすが、愛は受け入れられずにそこに果ててしまう。女の純情を憐れんだ正祐は亡骸を篤く葬り、そこに梅を植えたが悲恋に同情して花は涙を落したという。梅樹は代々植え継がれ、上拝殿の東には「なみだれのさめざめとのみ思ひ寝の夢のうつつの暁の空」と後奈良天皇が詠まれた碑が建っている。歌意は「恋しい人を慕って、さめざめと涙を流したことであろうが泣き疲れていつしか眠ってしまった。ふと目覚めてまだ夢心地のとき、目に入った東の空はもうわずかに白みはじめていたことであった。」と解される。
涙だれの梅庭園
令和改元の記念事業として涙だれの梅石碑を新たに建立し、白梅、紅梅の梅を植樹し庭園を造成しました。
二上山からの御来光
当社の東側真正面に二上山があります。春(4月6日頃)と秋(9月6日頃)に二上山雄岳と雌岳の間から太陽が昇ります。
節分献灯祈願祭
2月3日節分の夜、200燈余りのロウソク灯りが参道を照らします。