神社略記看板の隠された謎解き

当社境内にある略記を記す看板は平成2年5月にご寄付頂いたものです。30年近く、全く気付きませんでしたが令和になってから何気なく看板をみたら、神社名のフリガナ部分の印字が歪んで乱れている事を見つけました。「看板屋さんの印字ミスやな」と思い、もはや30年も前の事、今更「修正してください」とも言えず、そのままにしておりました。
数年前、参拝者の方から「略記神社名のフリガナが歪んだ字になっているのは何か意味があるのですか?」と質問をうけ「いえ、単なる印字ミスです。」と答えました。
ところが先日「TOLAND  QUEST」のロケがあり
当社で何度かハンドパンの奉納演奏をして頂いているageちゃんが「美具久留御魂は川を泳いだ神様なので、フリガナが泳いでいるでしょ」と紹介されていました。

それを見て「そうか、単なる印字ミスじゃなく、御神体を現すためにこんなところに謎解きが隠されていたのか」と目からうろこでした。数年前に「単なる印刷ミスです」と答えたことに対し神様はきっと「アホ !」と呆れていたんだろうなと思います。
考えてみたら、看板冒頭の文字がこんなに歪んでいたら、看板屋さんを始め、誰かが気付く筈。それが30年以上の間、修正することも無くそのままであったのは、神様がわざとお名前のフリガナの字を歪み泳がせて自らの御神体を表したという神様からのメッセージであったことに他なりません。
ageちゃん、謎をといてくれてありがとう。
そして美具久留御魂大神様、今まで気付かず申し訳ございませんでした。

令和6年 秋のご来光

9月5日、6日、7日と二上山に少し雲が掛かっていたりもやがあったりしたものの、3日間ともにご来光を拝むことが出来ました。
6日はご来光の後、朝日を浴びながらageちゃんが奉納演奏をしてくれました。
(ageちゃんは毎年奉納演奏をして下さっています)

9月7日

7日も数名の方がカメラを構えてご来光を待っていました。

少し雌岳寄りからのご来光です。
雲は無かったですが、靄が掛かっていたので
目には優しい光でした。


7日のご来光が3日間で一番綺麗でした。

9月6日

日の出前、少し雲が気になります。

午前5時40分、ご来光を待つ方々

雄岳と雌岳の真中からの日の出です。

ageちゃんの演奏

9月5日

少し雄岳よりから太陽が顔を出しました。

南寄りに上がって行くので、太陽が出きった時、雄岳と雌岳の真中に来ました。

厄難除けおき変え神事(9月4日)

‐平成30年の台風21号で大木が倒れ南木神社と熊野貴平神社の僅かな屋根の隙間を通って台座に落ちた所に備えた箱に形代を納め厄難除けの御利益を授かる神事をする参拝者の方々です。

阿含宗南大阪道場様  照耀行脚ご奉仕(8月3日)

阿含宗の照耀行脚(しょうようあんぎゃ)とは全国各地の神社や史跡、河川敷などにおいて執り行う土地浄霊法要です。
令和2年11月に一度ご奉仕頂き、今回は二度目のご奉仕でした。
厳しい暑さの中、護摩焚き法要で土地を浄めて頂き、神様も法要を享けられることにより、ご神威を新たにされたことと思います。
阿含宗南大阪道場の皆様、ありがとうございました。

富士山浅間大社奥宮登拝(7月27日)

昨年は台風の影響で出発日を2度変更しましたが、今年は何事も無く予定通り出発出来ました。今年は1人ではなく、神社奉仕活動団体のしめ縄会の会長さんが一緒に登りました。私は11回目、会長さんは6回目の富士登山です。
最初、週間天気予報では27日は曇りのち雨、登山指数C(登山に適さない)でしたが前日の予報は曇り、登山指数も午前中はA(登山に適する)に変わっておりました。

午前6時のシャトルバスに乗るために午前5時30分に水ヶ塚公園駐車場に行くと既に長蛇の列。最後尾に並んだ後も続々と並んできました。6時発に乗れなかったら1時間予定がズレてしまうと心配していたら続々とバスが来て無事にバスに乗る事が出来ました。
曇り空ですが富士山はきれいにみえていました。

午前7時前、富士宮口5合目出発です

登り口は混雑しておりました。

下界には雲海が広がっています。

20分程登って6合目の山小屋。
ここから宝永山を通過して御殿場ルートに入るプリンスルートで頂上を目指します。

6合目からの眺めです。

宝永山第一火口縁からの富士山頂。
先は長い。

こちらは宝永山山頂。
宝永山山頂にも立ち寄りたいけど、そのまま富士山頂に向かいます。
プリンスルートと呼ばれる所以は今上天皇が皇太子の時にこのルートで登られたからです。右下に映っているベンチに座ってご休憩されたことよりプリンスベンチと呼ばれています。

これから本格的な登りです。
宝永山第一火口縁から宝永山馬の背までは砂礫の登りで足が取られて登りにくいです。人が踏んだ後は多少は崩れにくいので、足跡の階段を上るイメージで足元を見て黙々と登ります。しかし、御殿場ルートはこのような砂礫の道が3000m近くまで4時間程続くのに対しプリンスルートはほんの1時間程度なので全然楽です。

頂上が見えていても

下からガス(雲)が上がって来て

一瞬で真っ白な世界になります。

トラバース(山を横断)して御殿場ルートに入りました。後ろを振り返って歩いてきたルートを見返します。左は宝永山頂上でそこから延びる稜線は見事です。

下界の様子です。

御殿場ルートを登る前に記念撮影。
毎年一人で登っていたら風景しか撮れないですが、今年は2人なので撮ってもらいました。

3000mに到着。酸素が薄くなっているので、頭がクラクラするので大きく深呼吸して脳に酸素を送ります。

最初の山小屋前に到着。ここで小休止です。

頂上は真っ白です。

あれだけ真っ白だったのが、スカッと晴渡りました。


今日は土曜日なので、続々と登って来ます。

8合目の山小屋前で小休止

ここから上は浅間大社の御神域です。
頂上まで90分、もうひと頑張り。

頂上に到着。午前11時20分、4時間半でした。プリンスルートは早い。

真中に鳥居があるその向こうが「銀明水」の祠です。

浅間大社奥宮前で記念撮影。
この後ご参拝させて頂きました。

頂上は空いていました。
水ヶ塚公園駐車場で私たちの前に出発した5台のバスの人たちは富士宮ルートで登っていて、未だ頂上に着いていないのか?

富士山八神峰の1つ三島岳(3734m)

こちらは最高峰の剣ヶ峰(3776m)

真中の一番高い所が恐らく白山岳(3756m)

下で雷雲らしき雲が出てきて雷が鳴りかけていたので、12時過ぎに早々と下山開始。
宝永山馬の背では一面真っ白です。

合羽を着けるほどの雨にも遭わず、午後2時40分に富士宮口5合目に到着。
2年前に同じプリンスルートで登った時、本来は宝永山遊歩道の第一火口縁を通って宝永山荘前を通過して富士宮口5合目に到着する予定が、道を間違って宝永山遊歩道の第二火口縁を通り迷いながら富士山休養林ハイキングコースを通って富士宮口5合目に到着しました。今回は2年前に一体何処で間違ったのか検証するためにしめ縄会会長さんと慎重に下っていましたが、結局同じ間違いをして2年前に迷った所に来てしまいました。2人で「どこでまちがったんだろう?」と話しながら2年前に通った道で富士宮口5合目まで行きました。
後で地図で確かめてみると、プリンスベンチのところあたりで右折して第一火口縁の道に入らないといけなっかったことが分かりましたが、2人で「そんなところあったかな?」と首をかしげました。
三度目の正直で来年もプリンスルートを使い「ここで間違ったのか」という地点を見極めたいと思います。また来年。

夏越の祓(茅の輪くぐり)・夏季大祭

‐7月15日に夏越祓い続いて夏季大祭を執り行いました。
 海の日の祝日という事もあり、夏越の祓いは鳥居を超える所までの行列となりました。茅の輪をくぐって疫病退散・無病息災の御利益を戴ました。続いての夏季大祭が始まったと強い雨が降り出しました。雨の中での祝詞奏上では、皇室の弥栄、そして猛暑や日照りにより農作物に害が出ないことと氏子崇敬者の皆様のご健康ご多幸をご祈念いたしました。

夏越の祓い(茅の輪くぐり)

祝日ということもあり、鳥居の向うまで行列ができました。

夏越の祓い 夜の部

‐日中に来れない方のために私が宮司に就きましてから「夜の部」を始めました。定着してきたようでこちらも多くの方々がご参列されました。

朝鮮通信使絵馬が韓国で展示

ソウル歴史博物館で2025年4月25日~6月29日の間「日韓国交正常化60周年記念特別展  通信使」が開催され、その展示物の1つとして当社の通信使絵馬が展示されることが決まりました。
5月16日にソウル歴史博物館の館長様・学芸員様や日本のスタッフの方々が来社され打合せをしました。

朝鮮通信使絵馬

5月16日に打合せが終わって社務所前で記念写真を撮りました。
(向かって左端の方がソウル歴史博物館の館長様です)

新緑の心地よい香り

(4月25日)

暗がりでお灯明を上げている時、私の好きな新緑の香りに境内が包まれていて思わず大きく深呼吸をし、木の生き生きとしたエネルギーを頂きました。
ようやく落ち葉のピークが過ぎ、落ち着きました。楠を始め木々は瑞々しい若葉が茂っております。どうぞご参拝頂き新緑をお楽しみ下さい。

楠の新緑

紅葉の新緑

樫の新緑

宮川大助さんが来社

(4月23日)

夫婦漫才の大助花子の大助さんが来られました。
当社では月一で「古事記のものがたり」の著者小林清明さん・宮崎みどりさんの「先代旧事本記とニギハヤヒ研究会」があります。それに参加のために来られました。
2~3日前に「5年振りにNGK本公演登場」の記事を読んだばかりで「元気にされてるんだ」と思っていた時に本人さんが来られたので驚きでした。
古代のことにお詳しく、花子さんの介護をしながら空いた時間には古代のロマンを追いかけておられるようです。花子さんを大切にし、自己研鑽に励まれる大助さん。尊敬します。

さつきつつじが咲いています(4月23日)

4月20日の朝に写真を撮り今週が見ごろかと思いきや、21日の雨で赤いさつきつつじの花が散ってしまいました。花に関してはのんびりしていたらダメですね。反省です。他のさつきつつじは未だこれからですのでご来社してお楽しみ下さい。

20日の朝は満開で綺麗に咲き誇っておりました。

21日が雨となり22日の朝には散って生き生きさが無くなってしまいました。

神輿倉横  こちらは満開です

社務所前  これからのようです。

古札納所横   此方もこれからのようです。

春季例大祭(4月15日)

初夏を思わすような春の陽気の中で春季例大祭を執り行いました。
下拝殿には草月流木下麗泉様の献花を飾り、祭典では笠谷文様のオカリナ演奏
また猿渡美穂様の言祝・生ズ命様の舞が奉納されました。

献花    草月琉    木下麗泉様

オカリナ演奏奉納
皆様ご存じの「さくらさくら」「おぼろ月夜」とオリジナルの「花咲き祭り」の3曲の透き通るような音色が静かな杜に響き渡りました。

神楽鈴での舞

十種祓詞奏上と舞

君が代斉唱と舞

春のご来光(4月5~7日)

今年は天気予報が晴だったので期待しましたが、5日は厚い雲によりダメでした。6日は霞がかかってシルエットのご来光でした。7日は薄い雲があり雲が赤く輝き、ご来光が確認できる程度でした。秋は9月6日前後です。

4月5日

4月7日

早朝から約20名の方がカメラを構えて日の出を待っています。

午前5時50分間もなく日の出です。

春霞でシルエットの日の出です。

桜が満開(4月7日)

桜が満開になりました。よく見ると葉が出がでていました。丁度良いシャッターチャンスを逃してしまいました。

社務所前1

社務所前2

本殿裏

桜が開花(3月29日)

数日前に「つぼみが膨らんできた」と思っていたところ、昨日、今日の陽気で一気に開花しました。
当社の桜も害虫でほとんどが枯れてしまいました。今残っているのは社務所前と本殿裏の4本だけです。


幣垣稲荷例祭・柴燈大護摩供(令和6年3月17日)

3月17日は午前11時より喜志稲荷例祭が執り行われ、その後和太鼓奉納演奏、柴燈大護摩供が行われました。
稲荷例祭は曇り空で雨は降りませんでしたが、終わって間もなく雨が降り始め、太鼓奉納演奏は下拝殿に場所を変えての奉納演奏。
柴燈大護摩供も雨が降ったり止んだりする中で執り行われました。
雨が降っていましたが炎が火柱となり勢いよく燃え上がり約3000本の護摩木が焚かれました。


涙だれの梅庭園 梅の花開花情報(2月21日)

南側(石碑対面)の紅梅二本、半分は散ったでしょうか。
「涙だれの梅」の所以は「梅の花びらがまるで涙を流しているように散った」ということです。逆に今が見ごろかも知れません。

南側(石碑対面)の白梅二本、満開です。

石碑横の白梅も満開です。

石碑横の紅梅はちらほら咲き始めました。

雛人形がお出迎え

毎年恒例の雛人形、2月11日の建国祭を終え、下拝殿に飾りました。


涙だれの梅庭園 梅の花開花情報(2月16日)

南側(石碑対面)の紅梅二本は見ごろです。

南側(石碑対面)の白梅二本、チラホラ咲き始めています。

石碑横の白梅もチラホラ咲き始めました。

石碑横の紅梅はようやく蕾が膨らんで来ました。

涙だれの梅庭園 梅の花開花情報(2月7日)

石碑横の紅梅

「つぼみ固し」の状態です。

石碑横の白梅

つぼみが膨らみ間もなく開花のようす。

石碑の対面に植えられた白梅。
こちらもつぼみが膨らんできました。

石碑の対面の紅梅。
こちらは3分~5分咲きでしょうか。
淡い紅色の花です。

氏子さんが家で鉢植えをされていたもので、庭園に植えさせて頂きました。
8分咲きでしょうか。

令和6年節分祭・献灯祈願祭

(2月3日)

参道に200基余りの庭提灯を並べ、幻想的な空間の中、沢山のご参列を賜り、祭祀を執り行いました。

涙だれの梅庭園  梅開花情報

暖冬のためか、早々と梅の花が開きました

(1月27日)

元日に能登半島で大地震が起き大きな被害が出ております。お亡くなりになられた方々に心よりお悔やみを申し上げ、被災された方々にはお見舞いを申し上げ、一日も早い復興をご祈念致します。

お正月のご奉納

干支絵馬ご奉納

恒例となりました切り絵作家の岸佳美様に干支絵馬をご奉納頂きました。
辰と来年の巳が駆けっこをしています。

献花

草月流  木下麗泉様による生け花のご奉納です。
松梅南天蘭などでお正月らしくめでたく生けて下さいました。

大しめ縄(12月10日・24日)

12月10日(日)に、しめ縄会による大しめ縄作りがありました。
前日から藁を打ち、シブを取って前準備をし、10日の朝から直径10センチ×4メートルの物を3本作り、あわせて垂れのぼんぼりも3つ作ります。
午後から皆で力を合わせよっていき、立派な大しめ縄が完成しました。
24日に取り換え作業が行われ、綺麗なしめ縄が吊るされました。
しめ縄会の皆様、ありがとうございました。

天分水舞(あわみまい)奉納 

(11月27日)

令和2年からご奉納頂き、今年で4年になります。
11月の恒例行事となりました。

まわりうた

星めぐりのウタ

たらちねの舞  ~童神~

紅葉が綺麗に染まりました(11月22日)

緑の葉がなかなか色付きませんでしたが、先日の寒波で一気に赤く染まりました。夜露に濡れ、朝日が当たると鮮やかさが映えます。

秋祭り地車宮入風景のテレビ放送がありました。

去る11月7日関西ローカルの関西テレビ「日本の轍」でテレビ放送されました。
この番組は街道の歴史を紹介する番組で、11月は富田林街道が取り上げられ、この街道沿いの氏神が当社であることから、秋祭りの地車宮入での奉納にわかの伝統が紹介されました。詳細は下ボタンをクリックして下さい。

令和5年秋季大祭

10月20日(金)~22日(日)秋季大祭が執り行われました。
20日の夕方に雨が降りましたが、祭典の始まる午後8時には雨が上がりました。
21日は晴でしたが神輿渡御中、パラパラと雨が落ちてきましたが直ぐに上がりました。
22日は秋晴れの下、地車宮入が賑々しく行われ沢山の人で境内が埋め尽くされました。
地車宮入が11月7日(火) 午後9時54分から関西テレビ(8チャンネル)「日本の轍」で放送されます。(放送エリアは近畿2府4県です)

20日(金)本殿祭・湯立て神楽

湯立て神楽

釜で沸かしたお湯にお米、お酒を入れ、そのお湯を神様にお供えします。

笹でお湯を撒きます。
お湯の飛沫をいただくと無病息災の御利益が頂けると言われています。

本殿祭

宮司玉串を奉りて拝礼

21日(土) 今年の当番町 喜志・木戸山・喜志新家・東阪田

稚児社参

約70名の稚児が市民会館から神社まで参進しました。

乙女舞

16名の可愛らしい巫女が乙女舞を奉納しました。

神輿渡御

子ども達が元気に神輿を担いで御旅所に向かいました。



22日(日) 地車宮入    13台の地車が宮入し、河内俄を奉納します

各町稽古を重ねた河内俄を奉納されました。

秋のご来光

9月5日~7日のご来光ですが、5日以外は二上山に雲がかかっていて拝めませんでした。残念!

9月5日

ちょっと雄岳よりのところからお日様が出てきました。

影が真っすぐにのびています。

完全に出たら眩しい。

9月6日

天気予報は曇りから雨でしたが、もしかしてを期待しての人が居られました。

残念ながら厚い雲に覆われご来光は拝めませんでした。

9月7日

雲がかかっています。

雲の隙間から僅かに光が漏れています。

日の出に向かって、安慶名さんのハンドパンの演奏と麗さんのエイトリングのコラボ。

アーティスティックスイミング

乾選手・井村コーチお礼参り(8月23日)

水泳世界選手権福岡大会でアーティスティックスイミングソロ2冠に輝いた乾選手と井村コーチがお礼参りに来られました。
2つの金メダルを神様に捧げ祀り、ご奉告の祝詞を奏上いたしました。
美具久留御魂大神の恩頼を頂いて、ブダペスト、福岡と連覇を達成されたことは神社としてもこの上ない喜びです。
昨年のブダペスト大会後にルール変更があり、事前に行う技を申請し、その技の出来栄えに点数が付けられ順位を争うというものです。一つでもミスがあれば順位を大きく下げてしまうという厳しいルール改正の今シーズン、ワールドカップを含めノーミスだったのは乾選手ただ1人だそうです。

なぜ当社に乾選手が御祈祷に来られるようになったかと申しますと、美具久留御魂の名前の由来は、出雲の祭祀の復活を告げるご神託「玉菨鎮石・・・山河之水泳御魂(やまかわのみくくるみたま)・・・」からきており、美具久留御魂は水泳御魂であれば「水泳」に御利益があるのではないかとかねがね思っておりました。私が宮司に就任した年に高校時代の陸上部の同窓会があり、宮司に就任したことを話したら「神社の御利益は何や?」との質問があり、「これは私が思っている事ですが、 美具久留御魂は水泳御魂 であるから水泳にご利益があると思うねん。水泳界に伝わったらいいんやけど。」というと、私の前に座っていた元主将が「井村さんに言うたろか」と。この元主将は音楽関係の仕事をしており、当時のシンクロナイズドスイミングのナショナルチームの音楽を担当し、井村コーチとは月に何度も会う人物でした。「是非お願いします。」と頼むと、その話が井村コーチに伝わり、井村コーチは非常に関心を持たれ、「東京オリンピックの選手達を連れて参拝します。」という事になりました。しかしコロナ禍の関係でその話は実現せず、代理で音楽担当の元主将達が来社され「東京オリンピック必勝祈願」をさせて頂きました。東京オリンピックが終わり井村コーチが直々にお礼参りに来られ、そして昨年のブダペスト世界選手権の前に乾選手と井村コーチが必勝祈願に来られたというです。
私が水泳に御利益があることに気付いたところ、神様がご縁を繋がれ「2年連続世界一」という形で、美具久留御魂大神様が「水泳」へのお力を示されました。
「水泳の御利益」もそうですが、私の一つの思いからご縁を繋いでいかれる神様の凄さに驚くばかりです。

富士山頂浅間大社奥宮参拝

(8月18日)

今年の富士山は最初8月8日に登る予定でしたが台風6号の進路がややこしかったので8月17日に延期しました。そしたら15日に台風7号が大阪を直撃し境内は木の葉や枝が散乱しました。16日に出発予定でしたが境内を放っておいて行くわけにはいかず、先に宿のキャンセルを入れ、15日の午後、風が止んでから掃除にかかりました。掃除中に本殿裏で大木が倒れていることに気付き、改めて森を歩き回ると稲荷社の東側でも木が倒れていて通り道を塞いでおりましたので16日の出発は諦めました。16日早朝明るくなってから兄、嫁と3人で掃除にかかり、参拝者の方もお手伝い下さり、一日かかりでブロアーが出来るところまで進みました。17日午前中で何とかなると目処が立ち、急遽宿を探し17日の午後から出発を決めました。17日も朝明るくなってからブロアーを始め、午前中で主だった所の掃除がなんとか終り、午後から静岡に出発し、18日晴天の下で登山をすることが出来ました。

午前4時前に御殿場口5合目駐車場に到着。例年なら第2駐車場に止めれるのに今年は満車で第3駐車場に車を止めました。登山者が最も少ない御殿場ルートでも今年は多いようです。午前4時10分登山開始。

ご来光前、東の空の朝焼けです。

歩き始めて10分程で大石茶屋があります。ここを通り過ぎれば6合目まで何もありません。

東の空が大分明るくなりました。間もなくご来光です。

日の出前の頂上です。雲一つなく晴れ渡っています。3日間の掃除で足が疲れているのか右太もも裏がツルような違和感が予防のため芍薬甘草湯を飲みました。

歩いていたら前を行く人が「ご来光ですよ」教えてくれ、後ろを振り向いてシャッターを押しました。

お日様が綺麗に出てきました。下には雲海が広がっています。

朝焼けで頂上が赤く染まる富士山

綺麗な雲海。絶景です。

完全に明るくなりました。快晴で日差しが厳しそうです。

御殿場ルートの前半は砂礫の坂道が3000メートル手前まで続きます。これが御殿場ルートの避けられる原因です。

連日ニュースで伝えられている吉田ルートは超満員にたいして御殿場ルートはガラガラです。

山小屋に物資を運ぶブルドーザーです。

歩いて3時間、最初の山小屋です。標高2590mです。今までずっと休業中でしたがリニューアルして営業していました。エネルギー補給のため一寸休憩。

少しガスがかかってきました。

歩いて4時間、6合目( 
2830m)に到着。砂礫の歩きにくい難所クリアー。

宝永山です。昨年は富士宮5合目から宝永山を経由するプリンスルートでここまできました。

約4時間半、やっと3000メートルに到着です。

2つ目の山小屋をスルーして3つ目の山小屋砂走館で小休止。右足もも裏の違和感はあるがつらずにここまで来ました。もう一度芍薬甘草湯を飲んで予防。エネルギー補給でカロリーメイトを取り出すと気圧の関係で袋がパンパンに膨れていました。

山小屋から下の風景

4つ目の山小屋赤岩八合館を過ぎると浅間大社の境内地になります。山小屋の名の通り一面が赤くなっています。ここから山頂まで90分。

山頂の鳥居が見えました。
あと少し。

午前11時15分。登り始めてから約7時間かけて登頂しました。違和感のあった右足も最後までもってくれました。

浅間大社奥宮に参拝しました。今年も無事にお参りさせて頂きました。

頂上からの眺め。10年目にして初めて駿河湾を見渡すことができました。

午後0時頃の浅間大社奥宮前。例年より人は多いですが混雑はしておりません。富士山入山規制とニュースで言われておりますが、あのニュースは吉田ルートで反対側の久須志神社側です。

3776mの剣ヶ峰です。沢山の人がうごめいているのが見えたので行くのを止めました。やはり吉田ルート側は人が多いようです。 

3710mの駒ヶ岳です。

駒ヶ岳から見下ろす。

例年より人が多いがこの程度です。

午後12時20分下山開始。
頂上近くはこんな岩場の間を縫って進みます。もし地震が起こればと考えると恐ろしいです。

ガスが上がってきました。暑さ対策でミスとが出たところがありますが、自然のミストです。

3000m地点から大砂走で一気に駆け下ります。それが御殿場ルートの醍醐味です。

大パノラマの中を駆け下りる大砂走ですが残念ながらガスで景色はお預けです。

午後2時46分御殿場口鳥居まで戻ってきました。大砂走りをノンストップで駆け下りたので下山の所要時間は約2時間半です。

晩御飯は10回目の富士登山が無事に終われ一人で祝杯を上げました。

今年は台風で出発を2度延期しましたが、「今年は止めよう」などの考えは全く無く、「台風の片付けを終わらせて行くんだ」という気持ちが強く、片付けのペースが上がり丸二日で終えました。
  5月から1時間走ったり、神社階段でトレーニングしたりと3ヶ月間かけて体を作ってきました。それも「今年も富士山に行くんだ」という目標があったからこそ3ヶ月間続けることが出来きました。どんな些細な事でも先ずは目標を置き、そして取り組むことが大事だと思います。
また来年も登ります。

台風7号被害(8月16日)

8月15日に近畿を直撃した台風7号。
通過後、平成30年の台風21号に比べれば、「大したことない」でしたが、
参道は木の葉や枝が散乱状態でした。森では木が3本根元から倒れていました。
そのうち1本は高さが10m超のコブナの木で本殿の直ぐ裏側にあり、本殿と反対側に倒れたから良かったものの、もし本殿側に倒れていたらえらい事でした。
老木で近いうちに倒れる可能性があったため、神様が今回の台風の東風で本殿と反対の西側に倒されたのかと思います。
またもや神様のお力で大難を無難にされました。

本殿参道 
見た目は大したことは無いですが、枝が沢山混ざっているのでブロアーは使わずさらいで掃除したので時間がかかりました。

稲荷社参道
本殿参道に比べ太い枝が沢山落ちていました。

本殿裏の倒木
巡回したときは全く気付かず、本殿の掃除中、裏に葉っぱを捨てに行ったときに思わず「ええっ」と言ってしまいました。

稲荷社東側
2本の木が重なるように倒れていました。雨で地盤がぬかるんでいたため、突風で土もろとも掘れて倒れていました。

アーティスティックスイミング

乾選手満願成就で2冠

   6月23日に福岡での世界選手権の必勝祈願を受けられ、世界選手権に挑み
見事に2冠を達成されました。おめでとうございます。
祝詞では「体調万全で練習で培った力を余すことなく発揮し、演技で行う技全てが完璧で高得点を得て世界一の位に上げさせて下さい」と祈願し真にその通りになりました。
  フリーの「大蛇(オロチ)」での足技では両足が重なった時は大蛇が口を開けて舞っているように、また足が離れた時には2匹の大蛇か舞っているように見え、芸術的にも最高の演技であったと思います。
    下のボタンでソロフリー決勝の演技を見て頂けます。

アーティスティックスイミング

ソロテクニカルで乾選手が金メダル

(7月15日)

先月23日に世界選手権の必勝を御祈願され、福岡での世界選手権に挑まれている乾選手がソロテクニカルで見事に金メダルに輝かれました。
おめでとうございます。
この調子でフリーも頑張って頂きたいです。

夏祭り・茅の輪くぐり(7月15日)

太陽が雲に隠れ、時折風が吹いて過ごしやすい天候の下、夏祭りを斎行いたしました。午前11時に茅の輪くぐりをした後、本殿で祭祀を執り行いました。

午前11時  茅の輪くぐり神事

午後8時   茅の輪くぐり神事 
夜の部も多くの方が来られました。

アーティスティックスイミング  ソロ

乾選手必勝祈願(6月23日)

7月14日から開催される世界水泳選手権福岡大会に出場されるアーティスティックスイミングソロの乾友紀子選手が必勝祈願に来られました。
前回ブダペスト大会で2つの金メダルに輝きましたが、ルールの大幅変更により、上半身を鍛え、演技の技の難易度を上げて昨年と全く違う演技構成で挑まれます。テクニカル・フリールーティンの二種目で再び金メダルに輝かれる事を祈ります。

大した事無かったと思っていたが

(6月6日)

大雨の後の見回りで、普段は乾いているが、大雨の後は雨水が溜まる池の水がいつもと違って赤っぽい色になっていたので「なんでだろう?」と思っていてよく見ると、幅3m、高さ3mほどで土砂崩れを起こし、榊の木が根元から倒れておりました。やはり強烈な雨だったのですね。

土砂崩れ   前から

土砂崩れで榊の木が根元から倒れました。

上から

大雨のあと(6月3日)

6月2日は全国的に線状降水帯が発生し大雨に見舞われました。
翌日3日、杜に異常が無いか見回りました。
異常はありましたが大したことにはなっておらず一安心です。

普段は空の池が杜から流れてきた濁流が溜まり満水で溢れています。

木が倒れて参道を塞いでいます。

大木の太い枯れた部分が折れ落ちています。

堆積した葉を押しのけて雨水が流れた跡です。

この時季の風物詩(5月29日)

4~5年前からこの時季になると1匹の亀が現れます。
本殿から南に60~70m程離れた所に池があるのですが、そこから歩いてくるのか?どこに住んでいるのかは不明です。突き止めたい気もするのですが亀に付き合ってもいられないので。( ´艸`)
亀は縁起のいい動物なので会えればその日は良いことがあるかも知れません。

春季大祭(4月15日)

あいにくの雨となりましたが春季大祭を斎行いたしました。
下拝殿には草月流 木下麗泉様の生け花が献られ、祭典では生ズ命様のアースリズムダンスが奉納され雅やかかつ艶やかな祭典となりました。

雨の中沢山のご参列を頂きました。

修祓

アースリズムダンス奉納
(舞人   生ズ命)

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春のご来光(4月4日~7日)

4月4日は雌岳から昇る日の出が綺麗に見えましたが、5日は曇り、6日と7日は雨で残念な結果でした。
6日、ご来光は拝めませんでしたが、今年も日の出の後にハンドパン・ディジュリドゥ奏者の安慶名さんの奉納演奏がありました。

4日  雌岳からの日の出

6日  安慶名さんの奉納演奏

絵画奉納

(12月20日)

作者は画家の城岸美稀様
絵のタイトルは「KIBOU」です。
オレンジの〇はご縁や人、白の◇は光(太陽)、青の💧は雨、黄色の波は風を表しています。
「稲作に必要な環境を残すことで日本の明るい未来へ繋がる」この願いが絵に込められています。

大しめ縄完成(12月11日)

今年もしめ縄会の皆様により、立派な大しめ縄が出来上がりました。
春の田植えから始まり、収穫した餅米はお正月にお供えする鏡餅になり、藁はこの大しめ縄を始め、神社各所に取り付けるしめ縄となります。
しめ縄会の皆様、今年もありがとうございました。

絵画奉納奉告祭(11月25日)

11月7日にご奉納頂いた、4月6日の二上山雄岳と雌岳の間からの日の出を墨彩画で描いた「春の日の出」の奉納奉告祭を執り行いました。

奉納奉告祭にご参列頂いた皆様で奉納絵画(春の日の出)前で集合写真

奉告祭に小原流の生け花で飾って頂きました。

絵画ご奉納(11月7日)

4月6日春のご来光を描いた墨彩画  玉彩(川邉和子)様の作品です。
下拝殿にてご覧頂けます。

猪の被害(10月23日)

今までは本殿裏の山では度々、耕された様な猪が掘り起こしたあとがありましたが、裏なので然程気にしませんでしたが、今朝は下拝殿まで下りてきたらしく、下拝殿周りの苔が無茶苦茶にされていました。長年かけて生えた苔なのに一晩でこの有り様です。涙  ( ;∀;)  頼むからこれ以上荒らさないで!

市の文化財登録(5/27)

当社所有の朝鮮通信使絵馬が富田林市指定民族文化財に5月26日付けで指定されました。指定4点目だそうですが有形の民俗文化財としては第1号だそうです。


お正月に参拝者の方から「森でこんな物を拾いました。土器の欠片じゃないでしょうか?」
と渡されました。
確かに土器の欠片のような感じなので市役所の文化財課に調査を依頼しました。

調査結果
3世紀から約400年、地域の有力者を葬るために土を盛り上げて丘のようにした墓が作られました。これを古墳と呼び、この時代を古墳時代と呼んでいます。
古墳の上には、埴輪と呼ばれる焼き物が並べられることがありました。埴輪には土管のような形の円筒埴輪、円筒埴輪の上が大きく拡がる朝顔型埴輪、人物や動物、鳥、家、武具などを模した形象埴輪などがあります。
これらのうち、今回お預かりしたものは朝顔型埴輪の一部だと考えられます。
最近の研究で、埴輪の胴に貼り付けられた粘土の帯(突帯)の形や、粘土から形づくる時に使った薄板の痕跡(ハケ目)などの特徴から、おおよその時代が分かるようになりました。
お預かりした埴輪は全体にすり減っていて時代が分かるような特徴は見にくくなっていますが、外側の面に方向が不均一な横向きのハケ目が見られます。このハケ目は4世紀頃、古墳時代ではやや古い時代の特徴を示しています。

石碑建立

「清心会」は半世紀に渡り神明奉仕に励まれ、「鎮掛会」は半世紀に渡り己を磨き祈りを捧げて来られましたが、会の皆様がご高齢となった為、令和3年3月に解散されました。
長年に渡るご功績を称え、「清心会」「鎮掛会」の名を残すために石碑を建立し、12月20日に石碑建立奉告祭を斎行いたしました。

二上山が浮かび上がりました

普段の夕方5時ころの二上山です。
こんな風に見えています。

9月18日夕方5時頃の二上山です。
この日は朝から台風14号が紀伊半島に上陸通過し、朝は雨でしたが昼からは時折お日様が顔を出しました。
夕方には二上山にスポットライトが当たったように浮かび上がりました。何とも神秘的!

昭和初期の御朱印

氏子さんが「天井裏の物置を片付けていたら出てきました」とわざわざ持ってきてくれました。
昭和4年の当社の御朱印です。筆跡は私の曾祖父のようです。 私が生まれた時には曾祖父はもう居りませんでしたが、「御朱印をしっかりかくのだぞ」と言われているようで。100年後に私の書した御朱印が出てきて、私の曾孫に「曾爺さん、字下手」と言われるのかなと思ったりしてます。
押されている朱印で大きな角印の「大国宮」が無いので
復活させました。(右写真) 


押されている3つの朱印で大きな角印の「大国宮」が

復活した「大国宮」の角印です。
下は「涙だれの梅」の御朱印予定の原画を置いてみました。令和記念事業「涙だれの梅庭園」が竣工したら涙だれの梅御朱印を始める予定でおります。
その御朱印にこの「大国宮」の角印も押させて貰おうかと考えております。