春季大祭(令和7年4月15日)

心配された雨が朝で止みましたが、冬のような冷たい空気に入れ替わり寒さを感じる中、春季大祭を仕え奉りました。
下拝殿には草月流木下麗泉様奉納の生け花が飾られ、祭典では西垣葉子様によるバイオリン演奏奉納、生ズ命(上杉博美)様によるアースリズムダンス奉納、笠谷文様によるオカリナ演奏奉納が行われ、神様と共に参拝者の皆様も楽しまれました。

 草月流  木下麗泉様奉納の生け花 

バイオリン演奏   西垣葉子様
愛のあいさつ、あの日の川、早春賦の3曲を演奏されました

オカリナ演奏    笠谷文様
ふるさと、からたちの花、祝水歌(オリジナル)の3曲を吹かれました

アースリズムダンス

令和7年春のご来光

今年はど真ん中の4月6日は曇り空でご来光を拝めませんでした。
5日、7日の前後はきれいな日の出でした。

令和7年4月7日

雄岳寄りから太陽が顔を出しました

南にズレながら上がるので、完全に顔を出した解きは雄岳と雌岳の真中に来ます。

真直ぐに日光が差し込むので影が真直ぐに伸びます。

令和7年4月6日

早朝から数名の方々がご来光を祈りますが

残念ながら厚い雲に覆われて6日は拝めませんでした

令和7年4月5日

日の出前

雌岳よりから上がってきました

5日のご来光です

満開の桜(令和7年4月5日)

数少なくなった当社境内の満開になった桜です。

社務所前
唯一元気な桜です

本殿裏
花が少ないように思います。来年はダメかもしれません。

桜が咲いております(令和7年3月30日)

梅は花を散らし葉っぱとなりました。
社務所前にあった2本の桜のうち1本は害虫にやられ枯れてしまいました。
その他の桜は元気よく花を咲かせてくれました。

社務所前

祖霊殿前
害虫にやられているのか、こちらは元気がありません、

本殿裏

令和7年梅の開花情報(令和7年3月19日)

間もなく満開、ただいま見ごろです

白梅

紅梅

最後までつぼみであった石碑向かって左の紅梅も咲きました


幣垣稲荷例祭・柴燈大護摩供(令和7年3月16日)

3月16 日、生憎の天気ではありましたが、午前11時より喜志稲荷例祭を執り行い、多数のご参列を賜りました。
その後、午後0時半から「和太鼓 極」「喜和塾」による迫力ある和太鼓演奏を賑々しくご奉納頂きました。
そして午後1時より柴燈大護摩供が雨の降る中、大峯山寺阪堺役講岩組の行者様により執り行われました。 
雨で松明に火が付き難く心配でしたが、檀木の炉に火が移ると、辺り一面煙に覆われ、その後、炎が火柱となり勢いよく燃え上がり
約3000本の護摩木が焚かれ、皆様の祈願成就を願いました。

支子稲荷神社例祭

狭い拝殿に多数ご参列頂きました

祭典を終え宮司挨拶

喜和塾奉納演奏

和太鼓 極 奉納演奏

喜和塾 和太鼓 極 合同演奏

柴燈大護摩供

火柱の様々な表情をご覧ください

細身の女神が立って居られる姿のような炎

龍神が天に上る姿のような炎

令和7年梅の開花情報(令和7年3月15日)

開花したら次々と花が開き5分咲きってところでしょうか

涙だれの梅石碑向かって右側の白梅

南側の白梅1

南側の白梅2

南側の紅梅1

南側の紅梅2

涙だれの梅石碑向かって左側の紅梅
この木だけ未だつぼみです

令和7年梅の開花情報(令和7年3月10日)

6本中5本が花を咲かせました。今週は温かくなりそうなので一気に花をさかせるのではないでしょうか。
16日が稲荷祭、柴燈大護摩供が執り行われますので、稲荷社参拝に合わせ梅の花をお楽しみ下さい。
なお早くから花を咲かせている小さな梅の木はただ今満開です。

涙だれの梅石碑向かって右側の白梅

南側の白梅1

南側の白梅2

南側の紅梅1

南側の紅梅2

涙だれの梅石碑左側の紅梅
こちらは未だ咲いていません

満開となった小さな梅の木

令和7年梅の開花情報(令和7年3月2日)

紅梅が花を咲かせました。他の木も明日にでも花を開きそうな感じです
小さな梅の木は6分咲き程度になりました。

花開いた紅梅

明日にでも開きそうなつぼみ

こちらは6分咲き

令和7年梅の開花情報(令和7年2月25日)

昨年は1月末に開花しましたが、今年は二月の末になってやっと花が開きました。例年少し早く咲く小さな梅の木に2輪の花が付いています。他の梅の木はまだもう少し先になりそうですが、今週末一気に気温が上がる予報なので、開花も進むのではないかと思います。

2輪の花を付けた梅の木

他の6本は未だつぼみです。

光輝く稲荷社(令和7年2月23日)

天皇誕生日の朝、いつものように各お社にご挨拶に回っていたら、太陽の光が稲荷社に真直ぐに入っていて、お社がスポットライトを浴びたように光り輝いておりました。
ご本殿に真直ぐ朝日が差し込むのは4月6日ですが、ご本殿の北側にある稲荷社は天皇誕生日の2月23日午前7時前のようです。

節分祭・献灯祈願祭

(令和7年2月2日)

心配された雨は朝で上がり、雨の後の清らかな空気の下、210基の提灯を参道に並べ、御明を奉って節分祭をご奉仕いたしました。ロウソク灯りで照らされた幻想的で心が癒され、そして御神気に満ちた節分の夜だけに作られる空間を沢山の参拝者が満喫されました。

桜の植樹(令和7年1月18日)

氏子さんがNPO法人神山さくら会から桜の苗木を取り寄せて下さり、枝垂れ桜(神山枝垂桜)の苗木2本、八重桜(神山桜)3本を神社境内に植樹致しました。
しっかりと根付いてくれますように。

枝垂れ桜(神山枝垂桜)

神輿倉の西側。元々ここに枝垂れ桜がありましたが残念ながら枯れてしまいました。
今回は大きく育ちますように。

涙だれの梅庭園にも植えました。
梅が咲いてその後桜が咲くと楽しみが増えます。

八重桜(神山桜)

下拝殿向かって右側の狛犬裏手

上拝殿 お百度石東側
ここにも元々ソメイヨシノがありましたが
こちらも枯れてしまいました。横に写っている「喜友会」の石碑はソメイヨシノ植樹の際の記念碑です。

涙だれの梅庭園石碑の裏手
枝垂れ桜、八重桜と1本づつ植えました。

とんど焼き穴埋め(令和7年1月17日)

15日のとんど焼きを終え、お正月行事が一段落しました。
とんど焼きの灰も完全にきえましたので、灰を片付けて穴を埋めました。
穴を埋めたらやっと「日常に戻った」という感覚になります。

鍬を使って先ず8か所、瓦を入れるため、土を戻します。

地面と面一にして周囲に瓦を配置します。
後を埋めていくだけです。

埋め終りです。
今年の年末に、また埋めた瓦を目印に穴を掘ります。11か月間お休みです。

とんど焼き穴掘り(令和6年12月23日)

正月3ヶ日は木を燃やして参拝者に暖を取って頂き、15日はしめ飾りのお焚き上げをする穴を掘りました。
親父に代わって穴掘りをするようになり、40年近くになります。毎年のことですが、正月準備でこの穴掘りと、3ヶ日にこの穴で燃やす丸太の準備が一番の重労働です。二つの重労働を終え、正月準備ラストスパートです。

毎年同じ穴が掘れるように、埋める際、周囲に瓦を入れて埋めています。埋まった瓦を目印に内側から掘っていきます。

底が出てきました。
土が焼けているので黄土色になっています。

11か月前に埋めて再び掘っているのに四方から木の根が伸びています。

外へ外へと広げて行って、やっっと周囲に埋めた瓦が出てきました。もうひと頑張りです。

完成、2時間半かかりました。

正月3ヶ日は奥に積み上げている丸太を燃やします。

大しめ縄の取り換え(令和6年12月22日)

先日8日に出来上がった大しめ縄を取付ました。
2台のフォークリフトを使っての作業です。
令和7年も立派な大しめ縄で参拝者をお迎え出来ます。
しめ縄会の皆様、ありがとうございます。

朝日に映える紅葉(令和6年12月9日)

早朝、紅葉が朝日に映えて輝いていたので写真を撮りました

大しめ縄完成(令和6年12月8日)

今年もしめ縄会の皆様により立派なしめ縄ができあがりました

紅葉が真赤になりました(令和6年12月2日)

12月に入り、例年でしたら散ってしまっていますが、今年は今が見頃です。

紅葉が綺麗に染まってきました(令和6年11月26日)

例年なら、紅葉はピークを過ぎて散り出す頃ですが、今年は夏が尾を引いたためか、遅れての色付きです。
まだ青々として全く色付いていないものもあります。

天分水舞奉納(令和6年11月21日)

令和2年、天麻那舞(あまねまい)として、秋祭りでのご奉納から始まり、
令和4年に天分水舞(あわみまい)を立ち上げられ、今年で5回目のご奉納になります。今年は岐阜県からお2人、兵庫県丹波からお1人、栃木県からお1人の計4名の舞人が来られ、4つの舞をご奉納頂きました。

ひふみ祝詞 陰

まわりうた

とゆけのこよみ

たらちねの舞  ~童神~

秋季大祭

(令和6年10月18日~20日)

18日の本殿祭、20日の後宴祭は良い天気でしたが本宮の19日は午後から雨となり、神社までの稚児社参は中止となり市民会館の中ホールに神籬を設け神様を招奉り室内にて参進、お祓いを致しました。神輿渡御も御旅所まで行かず、雨の中境内を練り歩きました。

18日本殿祭湯立神事
厳かに神楽を舞い 神様にお湯をお供えします。

お供えが終わった後、笹の葉を使ってお湯を豪快に撒きます。

19日乙女舞奉納
雨のため下拝殿で舞いました。

19日神輿渡御
小雨でしたが、この後雨が強くなる予報でしたので御旅所までの渡御は中止し境内を練り歩きました。

20日後宴祭地車宮入
14台の地車が宮入し俄(にわか)を神様に奉納しました。

20日大神輿渡御
全ての地車宮入が終わった後、大神輿を担ぎ出し地車の並ぶ境内をなり歩きました。

絵画奉納(令和6年10月5日)

当神社総代であり、富田林市美術協会会長の植木啓次様より、秋祭りの神賑行事である稚児社参、乙女舞、神輿渡御と地車宮入を描いた絵画2枚をご奉納頂きました。
色鮮やかで、秋祭りの賑わいが伝わってきます。間もなく迎える秋祭りに花を添えて頂きました。下拝殿に飾っておりますのでご覧ください。

平成の御造営前の下拝殿は天井に隙間なく奉納絵馬が掛けられておりました。
御造営後は朝鮮通信使の絵馬だけを壁に取り付けあとは何も掛けられていませんでしたが、今は割拝殿北側の3面の壁が埋まるまでになりました。

神社略記看板の隠された謎解き

当社境内にある略記を記す看板は平成2年5月にご寄付頂いたものです。30年近く、全く気付きませんでしたが令和になってから何気なく看板をみたら、神社名のフリガナ部分の印字が歪んで乱れている事を見つけました。「看板屋さんの印字ミスやな」と思い、もはや30年も前の事、今更「修正してください」とも言えず、そのままにしておりました。
数年前、参拝者の方から「略記神社名のフリガナが歪んだ字になっているのは何か意味があるのですか?」と質問をうけ「いえ、単なる印字ミスです。」と答えました。
ところが先日「TOLAND  QUEST」のロケがあり
当社で何度かハンドパンの奉納演奏をして頂いているageちゃんが「美具久留御魂は川を泳いだ神様なので、フリガナが泳いでいるでしょ」と紹介されていました。

それを見て「そうか、単なる印字ミスじゃなく、御神体を現すためにこんなところに謎解きが隠されていたのか」と目からうろこでした。数年前に「単なる印刷ミスです」と答えたことに対し神様はきっと「アホ !」と呆れていたんだろうなと思います。
考えてみたら、看板冒頭の文字がこんなに歪んでいたら、看板屋さんを始め、誰かが気付く筈。それが30年以上の間、修正することも無くそのままであったのは、神様がわざとお名前のフリガナの字を歪み泳がせて自らの御神体を表したという神様からのメッセージであったことに他なりません。
ageちゃん、謎をといてくれてありがとう。
そして美具久留御魂大神様、今まで気付かず申し訳ございませんでした。

令和6年 秋のご来光

9月5日、6日、7日と二上山に少し雲が掛かっていたりもやがあったりしたものの、3日間ともにご来光を拝むことが出来ました。
6日はご来光の後、朝日を浴びながらageちゃんが奉納演奏をしてくれました。
(ageちゃんは毎年奉納演奏をして下さっています)

9月7日

7日も数名の方がカメラを構えてご来光を待っていました。

少し雌岳寄りからのご来光です。
雲は無かったですが、靄が掛かっていたので
目には優しい光でした。


7日のご来光が3日間で一番綺麗でした。

9月6日

日の出前、少し雲が気になります。

午前5時40分、ご来光を待つ方々

雄岳と雌岳の真中からの日の出です。

ageちゃんの演奏

9月5日

少し雄岳よりから太陽が顔を出しました。

南寄りに上がって行くので、太陽が出きった時、雄岳と雌岳の真中に来ました。

厄難除けおき変え神事

(令和6年9月4日)

‐平成30年の台風21号で大木が倒れ南木神社と熊野貴平神社の僅かな屋根の隙間を通って台座に落ちた所に備えた箱に形代を納め厄難除けの御利益を授かる神事をする参拝者の方々です。

阿含宗南大阪道場様  照耀行脚ご奉仕(令和6年8月3日)

阿含宗の照耀行脚(しょうようあんぎゃ)とは全国各地の神社や史跡、河川敷などにおいて執り行う土地浄霊法要です。
令和2年11月に一度ご奉仕頂き、今回は二度目のご奉仕でした。
厳しい暑さの中、護摩焚き法要で土地を浄めて頂き、神様も法要を享けられることにより、ご神威を新たにされたことと思います。
阿含宗南大阪道場の皆様、ありがとうございました。

富士山浅間大社奥宮登拝(令和6年7月27日)

昨年は台風の影響で出発日を2度変更しましたが、今年は何事も無く予定通り出発出来ました。今年は1人ではなく、神社奉仕活動団体のしめ縄会の会長さんが一緒に登りました。私は11回目、会長さんは6回目の富士登山です。
最初、週間天気予報では27日は曇りのち雨、登山指数C(登山に適さない)でしたが前日の予報は曇り、登山指数も午前中はA(登山に適する)に変わっておりました。

午前6時のシャトルバスに乗るために午前5時30分に水ヶ塚公園駐車場に行くと既に長蛇の列。最後尾に並んだ後も続々と並んできました。6時発に乗れなかったら1時間予定がズレてしまうと心配していたら続々とバスが来て無事にバスに乗る事が出来ました。
曇り空ですが富士山はきれいにみえていました。

午前7時前、富士宮口5合目出発です

登り口は混雑しておりました。

下界には雲海が広がっています。

20分程登って6合目の山小屋。
ここから宝永山を通過して御殿場ルートに入るプリンスルートで頂上を目指します。

6合目からの眺めです。

宝永山第一火口縁からの富士山頂。
先は長い。

こちらは宝永山山頂。
宝永山山頂にも立ち寄りたいけど、そのまま富士山頂に向かいます。
プリンスルートと呼ばれる所以は今上天皇が皇太子の時にこのルートで登られたからです。右下に映っているベンチに座ってご休憩されたことよりプリンスベンチと呼ばれています。

これから本格的な登りです。
宝永山第一火口縁から宝永山馬の背までは砂礫の登りで足が取られて登りにくいです。人が踏んだ後は多少は崩れにくいので、足跡の階段を上るイメージで足元を見て黙々と登ります。しかし、御殿場ルートはこのような砂礫の道が3000m近くまで4時間程続くのに対しプリンスルートはほんの1時間程度なので全然楽です。

頂上が見えていても

下からガス(雲)が上がって来て

一瞬で真っ白な世界になります。

トラバース(山を横断)して御殿場ルートに入りました。後ろを振り返って歩いてきたルートを見返します。左は宝永山頂上でそこから延びる稜線は見事です。

下界の様子です。

御殿場ルートを登る前に記念撮影。
毎年一人で登っていたら風景しか撮れないですが、今年は2人なので撮ってもらいました。

3000mに到着。酸素が薄くなっているので、頭がクラクラするので大きく深呼吸して脳に酸素を送ります。

最初の山小屋前に到着。ここで小休止です。

頂上は真っ白です。

あれだけ真っ白だったのが、スカッと晴渡りました。


今日は土曜日なので、続々と登って来ます。

8合目の山小屋前で小休止

ここから上は浅間大社の御神域です。
頂上まで90分、もうひと頑張り。

頂上に到着。午前11時20分、4時間半でした。プリンスルートは早い。

真中に鳥居があるその向こうが「銀明水」の祠です。

浅間大社奥宮前で記念撮影。
この後ご参拝させて頂きました。

頂上は空いていました。
水ヶ塚公園駐車場で私たちの前に出発した5台のバスの人たちは富士宮ルートで登っていて、未だ頂上に着いていないのか?

富士山八神峰の1つ三島岳(3734m)

こちらは最高峰の剣ヶ峰(3776m)

真中の一番高い所が恐らく白山岳(3756m)

下で雷雲らしき雲が出てきて雷が鳴りかけていたので、12時過ぎに早々と下山開始。
宝永山馬の背では一面真っ白です。

合羽を着けるほどの雨にも遭わず、午後2時40分に富士宮口5合目に到着。
2年前に同じプリンスルートで登った時、本来は宝永山遊歩道の第一火口縁を通って宝永山荘前を通過して富士宮口5合目に到着する予定が、道を間違って宝永山遊歩道の第二火口縁を通り迷いながら富士山休養林ハイキングコースを通って富士宮口5合目に到着しました。今回は2年前に一体何処で間違ったのか検証するためにしめ縄会会長さんと慎重に下っていましたが、結局同じ間違いをして2年前に迷った所に来てしまいました。2人で「どこでまちがったんだろう?」と話しながら2年前に通った道で富士宮口5合目まで行きました。
後で地図で確かめてみると、プリンスベンチのところあたりで右折して第一火口縁の道に入らないといけなっかったことが分かりましたが、2人で「そんなところあったかな?」と首をかしげました。
三度目の正直で来年もプリンスルートを使い「ここで間違ったのか」という地点を見極めたいと思います。また来年。

夏越の祓(茅の輪くぐり)・夏季大祭(令和6年7月15日)

‐7月15日に夏越祓い続いて夏季大祭を執り行いました。
 海の日の祝日という事もあり、夏越の祓いは鳥居を超える所までの行列となりました。茅の輪をくぐって疫病退散・無病息災の御利益を戴ました。続いての夏季大祭が始まったと強い雨が降り出しました。雨の中での祝詞奏上では、皇室の弥栄、そして猛暑や日照りにより農作物に害が出ないことと氏子崇敬者の皆様のご健康ご多幸をご祈念いたしました。

夏越の祓い(茅の輪くぐり)

祝日ということもあり、鳥居の向うまで行列ができました。

夏越の祓い 夜の部

‐日中に来れない方のために私が宮司に就きましてから「夜の部」を始めました。定着してきたようでこちらも多くの方々がご参列されました。

朝鮮通信使絵馬が韓国で展示

ソウル歴史博物館で2025年4月25日~6月29日の間「日韓国交正常化60周年記念特別展  通信使」が開催され、その展示物の1つとして当社の通信使絵馬が展示されることが決まりました。
5月16日にソウル歴史博物館の館長様・学芸員様や日本のスタッフの方々が来社され打合せをしました。

朝鮮通信使絵馬

5月16日に打合せが終わって社務所前で記念写真を撮りました。
(向かって左端の方がソウル歴史博物館の館長様です)

新緑の心地よい香り

(令和6年4月25日)

暗がりでお灯明を上げている時、私の好きな新緑の香りに境内が包まれていて思わず大きく深呼吸をし、木の生き生きとしたエネルギーを頂きました。
ようやく落ち葉のピークが過ぎ、落ち着きました。楠を始め木々は瑞々しい若葉が茂っております。どうぞご参拝頂き新緑をお楽しみ下さい。

楠の新緑

紅葉の新緑

樫の新緑

宮川大助さんが来社

(令和6年4月23日)

夫婦漫才の大助花子の大助さんが来られました。
当社では月一で「古事記のものがたり」の著者小林清明さん・宮崎みどりさんの「先代旧事本記とニギハヤヒ研究会」があります。それに参加のために来られました。
2~3日前に「5年振りにNGK本公演登場」の記事を読んだばかりで「元気にされてるんだ」と思っていた時に本人さんが来られたので驚きでした。
古代のことにお詳しく、花子さんの介護をしながら空いた時間には古代のロマンを追いかけておられるようです。花子さんを大切にし、自己研鑽に励まれる大助さん。尊敬します。

さつきつつじが咲いています(令和6年4月23日)

4月20日の朝に写真を撮り今週が見ごろかと思いきや、21日の雨で赤いさつきつつじの花が散ってしまいました。花に関してはのんびりしていたらダメですね。反省です。他のさつきつつじは未だこれからですのでご来社してお楽しみ下さい。

20日の朝は満開で綺麗に咲き誇っておりました。

21日が雨となり22日の朝には散って生き生きさが無くなってしまいました。

神輿倉横  こちらは満開です

社務所前  これからのようです。

古札納所横   此方もこれからのようです。

市の文化財登録(5/27)

当社所有の朝鮮通信使絵馬が富田林市指定民族文化財に5月26日付けで指定されました。指定4点目だそうですが有形の民俗文化財としては第1号だそうです。


お正月に参拝者の方から「森でこんな物を拾いました。土器の欠片じゃないでしょうか?」
と渡されました。
確かに土器の欠片のような感じなので市役所の文化財課に調査を依頼しました。

調査結果
3世紀から約400年、地域の有力者を葬るために土を盛り上げて丘のようにした墓が作られました。これを古墳と呼び、この時代を古墳時代と呼んでいます。
古墳の上には、埴輪と呼ばれる焼き物が並べられることがありました。埴輪には土管のような形の円筒埴輪、円筒埴輪の上が大きく拡がる朝顔型埴輪、人物や動物、鳥、家、武具などを模した形象埴輪などがあります。
これらのうち、今回お預かりしたものは朝顔型埴輪の一部だと考えられます。
最近の研究で、埴輪の胴に貼り付けられた粘土の帯(突帯)の形や、粘土から形づくる時に使った薄板の痕跡(ハケ目)などの特徴から、おおよその時代が分かるようになりました。
お預かりした埴輪は全体にすり減っていて時代が分かるような特徴は見にくくなっていますが、外側の面に方向が不均一な横向きのハケ目が見られます。このハケ目は4世紀頃、古墳時代ではやや古い時代の特徴を示しています。

石碑建立

「清心会」は半世紀に渡り神明奉仕に励まれ、「鎮掛会」は半世紀に渡り己を磨き祈りを捧げて来られましたが、会の皆様がご高齢となった為、令和3年3月に解散されました。
長年に渡るご功績を称え、「清心会」「鎮掛会」の名を残すために石碑を建立し、12月20日に石碑建立奉告祭を斎行いたしました。

二上山が浮かび上がりました

普段の夕方5時ころの二上山です。
こんな風に見えています。

9月18日夕方5時頃の二上山です。
この日は朝から台風14号が紀伊半島に上陸通過し、朝は雨でしたが昼からは時折お日様が顔を出しました。
夕方には二上山にスポットライトが当たったように浮かび上がりました。何とも神秘的!

昭和初期の御朱印

氏子さんが「天井裏の物置を片付けていたら出てきました」とわざわざ持ってきてくれました。
昭和4年の当社の御朱印です。筆跡は私の曾祖父のようです。 私が生まれた時には曾祖父はもう居りませんでしたが、「御朱印をしっかりかくのだぞ」と言われているようで。100年後に私の書した御朱印が出てきて、私の曾孫に「曾爺さん、字下手」と言われるのかなと思ったりしてます。
押されている朱印で大きな角印の「大国宮」が無いので
復活させました。(右写真) 


押されている3つの朱印で大きな角印の「大国宮」が

復活した「大国宮」の角印です。
下は「涙だれの梅」の御朱印予定の原画を置いてみました。令和記念事業「涙だれの梅庭園」が竣工したら涙だれの梅御朱印を始める予定でおります。
その御朱印にこの「大国宮」の角印も押させて貰おうかと考えております。