厄難除けおき変え祭の由縁

    厄難除けおき変え祭は令和元年から始めたお祭りです。その由縁をこのページを使ってお話しさせて頂きます。
   平成30年9月4日、台風21号が紀伊半島の南から大阪に向かって北上しておりました。 朝から暴風に備えて掲示物を外し、飛びそうな物を片付けたりと暴風対策をしましたが、その反面「大した事は無いだろう」と高を括っておりました。
      午後になり台風が近づき、風が強くなって来たので社務所に入り台風の通過に備えました。次第に風の音が強くなり、少し戸を開けて外の様子を見ると、木が大きく揺れ、境内案内図看板が今にも外れて飛んで行きそうな状況でした。と直ぐに看板が外れ参道に吹き飛ばされました。「このままでは危ない」と思い、暴風の一瞬の隙に吹き飛んだ看板を社務所に取り入れました。身の危険もあるので、その後は社務所に入り台風の通過するのを待ちました。 
      夕方になり、風が収まって来たので外の様子を見るために社務所から出たら、社務所前は 境内案内図看板が飛ばされた以外に神輿倉の瓦が数枚飛ばされ、参道は杉葉や枝が散乱しておりました。「掃除が大変やな」と思う程度の状況でした。しかし、山の本殿の方を見ると、普段は夕方であれば薄暗い筈なのに、妙に明るかったので「これはおかしい」と思い、慌てて本殿に向かいました。
     下拝殿を通り抜けると目を覆いたくなるような光景でした。本殿に上がる参道も至る所で木が倒れ参道を塞いでおりました。 

下拝殿を通り抜けた所

鎮魂殿裏

本殿に向かう参道

    「本殿はどうなっているのだろう」不安な気持ちの中、急いで倒木の間を縫って本殿へと上がると更に酷い状況でした。
    本殿・上拝殿・司侯所の屋根に倒木がもたれかかり、本殿裏の森では大木が悉く倒れておりました。本殿に上がる前に本殿方向が「妙に明るかった」のは、空を覆っていた大木が悉く倒れ、森にポッカリと穴が開いたような状態になっておりました。さすがにその日は意気消沈して家に戻りました。 

枝が折れ落ち本殿の格子塀に覆いかぶさる

上拝殿屋根に折れた大木がもたれかかり、鬼板が傾く

木が倒れ司侯所屋根を直撃し軒の瓦が多数割れる

 次の日、下拝殿から上は「立ち入り禁止」とし、倒木の片付けに入りました。先ずは本殿にもたれかかった木の片付けから取りかかりました。この木は本殿裏に立っていた大木で本殿屋根にもたれかかり、千木を折り、鬼板が外れて下に落ちておりました。、本殿南側の南木神社と熊野貴平神社に覆いかぶさる様になっておりました。 

本殿裏、北側から撮影

本殿裏、南側から撮影

  本殿にもたれ掛かった大木の幹

本殿屋根に当たり、千木を折り、鬼板を破損させました。

下に落ちていた鬼板

南木神社・熊野貴平神社に覆いかぶさる倒木の枝

チェーンソーで枝の先端を片っ端から落としていきました。葉の付いた枝の先端をある程度落とし終り、顔を上げ、ふと倒木を見て「まさか、嘘やろ」と思わず言ってしまうような光景がそこにありました。 

南木神社と熊野貴平神社は横に並んであります。その屋根の隙間は30㎝程度、その隙間を通り抜けてお社の台座に落ち止まっておりました。もし、南木神社・熊野貴平神社の屋根に当たっていればお社崩壊は免れないところでした。しかし、プロの伐採師が狙って倒しても難しいであろうその隙間を、大木が折れるような暴風の吹き荒れる中、また四方八方に枝が伸びる大木の1つの枝をものの見事にその隙間を通して地面に落とし、お社崩壊を防いだのです。これは神様のお力が働いた以外の何物でもないと思い写真に収めました。

    平成29年4月に父親から宮司を引き継いで2年目に訪れた大きな試練、そこで神様は私に御神威を見せて下さったのです。神様がお社崩壊を防ぐために頑張られたのだから、私も復旧を頑張ろうという気力を頂きました。

   それから、多数の氏子崇敬者の皆様のお手伝いも頂き、9月下旬には「立ち入り禁止」を解除できるところまで復旧することができました。

  この出来事をただ単に写真で残し、語り継いで行くだけではいつか途絶え
てしまう。神様が大難を小難に変えられた御神威を称え、氏子崇敬者の皆様にも大難を小難に、小難を無難に変える御利益を授かるお祭りとして残せば後世までこの大難を小難に変えた神様の御神威を伝え残すことが出来ると考え、令和元年から「厄難除けおき変え祭」「厄難除けおき変え神事」のお祭りを始めました。

   令和になり、新型コロナウイルス・線状降水帯による豪雨被害・勢力の強い台風襲来・地震と難が続いております。神様は令和の世は難が多い事を分かっておられたので、私に厄難除けの御神威を示され、「厄難除けの御利益を授けるのでお祭りをしなさい」というメッセージであったのかなと今になって思います。